
今朝は、愛犬のマコちゃんと一緒に芝生のある小さな公園へ散歩に来ています。日差しはありますが、日陰のベンチは風が心地よく、快適な時間を過ごしています。
そんな穏やかな中でふと考えたのは、古代ギリシャの哲学者ゼノンの有名なパラドックス、そしてそこから広がった「無限」の不思議についてです。
まずは、よく知られている「アキレスと亀」のお話からおさらいしてみましょう。
足の早いアキレスが、足の遅い亀を追いかけるとき、亀を少し前の地点からスタートさせると、アキレスが「亀がいた場所」にたどり着くたびに、亀はわずかに前進しています。これが無限に繰り返されるため、「アキレスは永遠に亀に追いつけない」というものです。
写真に撮ったら何枚も永遠にコマ送りできてしまうように思えますよね。
この「無限に続く」という見事なトリックを使って、私も自分なりに2つのパラドックスを作ってみました。
【1つ目のパラドックス:2mの丸太で天まで届く?】
有名な「ジャックと豆の木」のように、天まで届く高い木のお話です。では、2mの丸太を使って同じことをしてみましょう。
まず2mの丸太を半分に切って1mを2本にします。その1本をさらに50cmと50cmに、その50cmのうちの1本を25cmと25cmに、この方法で、丸太をどんどん切っていきます。
これは100本、1万本、1億本と、永遠に切り続けることができます。増えた木片を縦にどんどん積み上げていけば、個数は無限にあるのですこしずつ高くなっていき、いつかは天まで届く丸太にできるのではないでしょうか?
【2つ目のパラドックス:会えるはずの親子の永遠の壁】
昔のメロドラマに、生き別れた親子がすぐ近くですれ違う切ないシーンがありましたね。
私のパラドックスでは、お互いを見つけて今から抱き合おうとします。2人の距離は10mです。
子供が親に向かって歩くとき、まず「中間地点(5m)」を通らなければなりません。そこを過ぎたら「次の第2の中間地点」、さらにその次は「第3の中間地点」と、通らなければならない壁が永遠に続きます。
この数字は1000になっても1兆になっても終わりません。子供はどんどん近づいているのに、この終わりのない「無限の壁」のせいで、結局親と抱き合うことはできないのではないでしょうか?
■ いったい、どこが誤っているのでしょうか?
もちろん、丸太が天まで届くことも、親子が抱き合えないことも、現実にはあり得ません。
この説明の誤りは、「無限に分割できる(作業を無限回繰り返せること)」と「それにかかる時間や長さが無限大(永遠)になること」を混同している点にあります。
アキレスが亀に追いつく時間も、丸太を切り刻んで足していく長さも、親子が中間地点を進む時間も、最初が大きいものから「毎回(ちょうど半分ずつ)小さくなるもの」を足していく形になっています。
「永遠に足し算を続けることはできる」のですが、毎回半分になっていくので、足していく数はあっという間に小さくなります。
そのため全体は無限に大きくなるわけではなく、ある一定の「有限の大きさ」に限りなく近づいていきます。
丸太なら、積み上げた高さは2mに限りなく近づきますが、2mを超えることはありません。親子の場合も、進んだ距離は10mに限りなく近づき、ちょうど10mのところで出会います。
つまり、「細かく写真を何枚も撮れる(無限にステップがある)」からといって、時間や長さが「永遠に続く(無限大になる)」わけではないのです。ある限られた時間のなかで、アキレスはちゃんと亀に追いつき、丸太は2mを超えず、親子は温かく抱きしめ合うことができます。
「永遠に続く」という言葉に隠された、無限の面白い罠ですね。
心地よい風が吹く公園のベンチで、そんなパラドックスに浸った朝のひとときでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。良き日が訪れますように。